紫電改

水上戦闘機から発展した紫電の視界と二段伸縮式脚問題解決の為、胴体を改設計して低翼配置とし、生産性向上のために部品点数を絞りこんだのが、紫電改である。四式戦疾風と同じ誉エンジンを搭載しているが、遥かにアグレッシブな設計で層流翼、自動空戦フラップを採用している。防弾装備も充実し、自動消火装置も持っていた。太平洋戦争中盤以降、連戦連敗が続く海軍戦闘機隊の希望の星として登場したが、粗製乱造でまっすぐ飛ぶ事すら困難な機体もあり、言われる程の活躍は出来なかった。戦後、米軍の調査では高度6000mでP51と同速程度と報告されているが、既にドイツのジェット戦闘機や空対空ミサイル、大陸間弾道弾に関心が移っている米軍はレシプロ機の疾風や紫電改、ドイツのTa152にも殆ど関心を示さず、現地部隊のおざなりの調査に終わった。
性能所元      紫電改 21型
全幅          11.99m
全長          9.38m
全高          3.96m
翼面積        23.5㎡
全備重量      3800kg
エンジン       誉21型
出力        1990馬力
最高速度      594km(5600m) 
上昇限度      12760m
航続距離      1715km
武装        20ミリ機関砲×4
       (内側200発、外側250発)
        250kg爆弾×2、60kg爆弾×4

一式戦 隼

1938年12月に初飛行した隼は97式戦闘機の後継機であった。空の狙撃兵と言われるほど、射撃安定性が良く、機体が軽くて運動性と低速からの加速力に優れP51やP47でさえ一時的には引き離したと言う隼。しかし構造は弱くて急降下は苦手であった。陸軍はノモンハンの戦訓から戦闘機の防弾の必要性を認めており、隼はⅠ型から防漏タンクを翼内に装備し、Ⅱ型からは不十分ながら防弾鋼板も装備した。防漏タンクを機体内に装備しないのは、万が一の場合、操縦者を守る為である。この後、陸軍機は防弾装備を逐次強化し続け、四式戦疾風に至っては集中砲火を浴び、車輪が飛ぶ程の被害を受けても、火も噴かず、飛んでいる姿が米軍のガンカメラに残っている。隼は千馬力の非力なエンジンと非力な武装で次々と現れる連合軍の新鋭機に対抗し続けた。 米海軍のF4Fとかぶる働き者である。よく、同じエンジンを積んだゼロ戦と比較され、ゼロ戦より若干低速だなどと言われるが、まったく防弾装備の無いゼロ戦と、不十分ながら防漏タンクと防弾鋼板を装備する隼では比較に意味が無い。
             性能所元 隼 Ⅱ型
全幅          10.84m
全長           8.92m
全高           3.09m
翼面積         22㎡
全備重量       2590kg
エンジン       ハー115
出力         1150馬力
最大速度      548km(6000m)
上昇限度      11750m
航続距離      1620km
武装   ホー103 12.7mm機銃×2(250発)
          30~250kg爆弾×2

XP72 スーパーサンダーボルト

強力な迎撃機としてP47を元に開発され、P&W R4360-13空冷4列28気筒(3000馬力)の化け物のようなエンジンを搭載したXP72が初飛行したのは1944年2月。海面上で772kmという快速を記録し、上昇力も加速力も当時の新鋭機の2倍近かった。喜んだ米陸軍航空隊は100機の発注を出したが、もはやジェット機の時代になりつつあり、結局キャンセルとなってしまった。試作機のR4360-13エンジンはスーパーチャージャが付いて無かったが、量産機はスーパーチャージャ付きのR4360ー19エンジンを搭載し、高度7620mで速度811kmを出すはずだった。さらに改良を加えた4000馬力エンジン搭載型は869kmを目標としていたが、既にドイツのジェット戦闘機は時速1000kmで飛び回っていた。
     性能所元  XP72
全幅        12.47m
全長        11.15m
全高         4.88m
翼面積        27.9㎡
全備重量     6547kg
エンジン  P&W R4360-19 排気タービン付き
        4列28気筒強制空冷エンジン
出力      3650馬力(7620m)
最高速度    772km(海面上)
          811km(7620m)
上昇限度    12805m
航続距離    1931km
武装      37mm機関砲×4
         454kg爆弾×2

三式戦 飛燕

ダイムラーベンツの技術の粋を集めた高性能エンジンDB601、ローラーベアリングを使用、クランクシャフトの一発成型、トルクコンバータ式スーパーチャージャ、フュエールインジェクション付倒立V型12気筒加圧式液冷エンジンのライセンス権を手に入れての野心作、飛燕は1941年12月に初飛行した。あのロールスロイス・マリーンも始めは倒立V型加圧式液冷エンジンとして設計されたが、技術的困難さから普通のV型沸騰式水冷エンジンに落ち着いたという。日本の川崎は凄いエンジンにトライしたものだ。初めてニューギニアに登場した時、高空から高速で攻撃してくる飛燕に驚き、降下離脱の加速力に圧倒された米軍機は「メッサーシュミットが現れた!」とパニックになったと言う。が、やがて「突っ込みは凄いが、馬力不足で水平速度も上昇力もトロイ」「他の日本機ほど旋回性能は良くない」とわかり、当時の日本の工作精度を2桁程上回る精密エンジンの故障にも泣かされ活躍は出来なかった。大戦末期、補給も整備も十分な帝都防空戦で活躍した。
        性能所元 飛燕Ⅰ型
全幅     12.00m
全長      8.74m
全高      3.70m
翼面積     20㎡
全備重量   3130kg
エンジン    ハー40 (DB601ライセンス)
出力       1175馬力
最大速度     580km(5000m)
上昇限度
航続力      1800km
武装       12.7mm機関銃×4(各250発)
          100~250kg爆弾×2

Me P1101

Me262を成功させ、メッサーシュミット社は次のジェット戦闘機を社内名称P1101として、44年から開発に着手した。本機は主翼後退角を35~45度の範囲内で調整可能としている。年末の「緊急戦闘機計画」に応募したが、Ta183に敗れた。しかし、優れた設計の為、空軍から本機も発注を受けた。敗戦時80%完成で、米軍に捕獲され、高度な技術に驚いた米国は本国に搬送し、F86セイバーやベルX5に結実した。やがて朝鮮の空で旧戦友Ta183(Mig15)と戦う事となる。
性能諸元    Me P1101
全幅        8.25m
全長        9.25m
全高        2.80m
全備重量     4064kg
エンジン  HeS011Aターボジェット
推力        1300kg
最大速度     1100km
航続距離     1500km
武装     30mm機関砲×4

Ta183フッケバイン

偵察機が英本土で発見したB29に驚き、44年、急拠開発された緊急戦闘機計画、いわば、第二世代のジェット戦闘機である。各社が応募したがフォッケウルフ社のTa183が採用され、16機の原型製作が発注された。機首に空気取り入れ口を設けた太短い胴体、鋭い後退角の主翼、エンジンノズル上方から斜め後方に延びた垂直尾翼にT字形に後退角付き尾翼を配したスタイルはMIG15そっくり。実はドイツ敗戦後、ソビエトがTa183を持ち帰って、そっくりパクッタのがMIG15なのだ。ついでに言うと米国のF86セイバーはMe1101のパクリだった。朝鮮の空で戦った米ソのジェット戦闘機は、実は敗戦国ドイツの最後のジェット戦闘機だったのだ。開発者の1人は後に米国に渡り、スペースシャトル開発の基礎理論を作った。
性能所基             Ta183
全幅                10.00m
全長                 9.40m
全高                    ?m
全備重量             4300kg
エンジン     HeS011Aターボジェット
推力                1300kg
最大速度              955km
航続距離              990km
武装          30mm機関砲×2or4
爆弾                 500kg

Me209Ⅱ

Me109の後継機Me309の失敗も明らかになり、Me210双発戦闘機も失敗して切羽詰ったメッサーシュミット社は43年半ばMe109の部品を65%も流用し、強力なDB603を搭載した新戦闘機を空軍に提案した。機首はJu88に倣った環状ラジエター、主翼はやや延長、垂直尾翼は高高度での安定の為高くし、主脚は充分にトレッドを取った内側引き込みとし、43年11月には早くも初飛行した。高度6000mで最高速度750km、操縦、安定性にも問題は無かった。しかしMe209Ⅱと併行開発中のFw190Dもほとんど同じ性能を出し、比較検討の結果、生産ラインの変更がより少なくて済むFw190Dが採用となり、Me209Ⅱは不採用となってしまった。これ以降メッサーシュミット社はレシプロ機から手を引き、ジェット戦闘機に専念することになる。
性能諸元           Me209Ⅱv5
全幅              10.95m
全長               9.60m
全高               3.56m
翼面積             17.20㎡
全備重量            3870kg
エンジン   DB603A-1 MW-50
出力              1750hp
        MW-50使用時1900hp
最大速度           750km
上昇限度           12400m
航続距離           480km
武装         13mm機銃×2 
           20mm機関砲×2

二式単戦鍾馗

日本陸軍にも世界を見ていた連中が居た。高速爆撃機迎撃用の速度と加速力、上昇力と突っ込みを重視した縦方向の高速空中戦用戦闘機を重戦として、ME109を目標にキー44を開発した。しかし低空低速でのフワフワとしたスポーツ機のような巴戦用戦闘機に慣れたベテラン搭乗員はこの本物の高速戦闘機に戸惑い、嫌った。「前方視界が悪い」「着陸速度が速すぎる」「小回りが出来ない」「操縦が難しい」などの評判は、嫌ったが故のこじ付けに過ぎない。搭乗したドイツ人パイロットは「日本人がこの戦闘機を乗りこなしたら、世界一の空軍ができる」と絶賛した。戦後の米国の評価試験でも操縦性に問題は指摘されていない。日本機として初めて60kgもの防弾鋼板を装備する本物の高速戦闘機に戸惑った当時の日本人ベテラン搭乗員の技量が悲しい。初飛行は40年10月。
性能所元         ニ型乙
全長           8.84m
全幅           9.45m
全高           3.24m
翼面積         15㎡
重量           2106kg
エンジン         ハー109
離昇出力        1500馬力
最高速度        615km(5200m)
上昇限度        10820m
航続距離        1600km
武装          12.7ミリ機関銃×4(250発)
爆弾           30~100kg×2

P40 ウオーホーク

カーチス・ホーク75として競争試作に臨み36年リパップリックP35に敗れたが、性能が捨てがたくP36として外国への援助機として採用された。さらにエンジンを水冷のアリソンに替えた機体がP40である。元来が日本の96式戦闘機、97式戦闘機と同期の機体で零戦や隼より一世代前に当たる。開戦時には既に旧式機だったが稼働率は良く頑丈で使いやすく、ドイツ軍への地上攻撃や日本軍戦闘機相手に苦闘して新型機投入までの時間を稼いだ。中国ではフライング・タイガースとして日本軍機相手に活躍している。ついでに言うとMe109やスピットファイアーとも同期であるが両機程の革新性は無く、新型戦闘機投入と供に消えていった旧概念の戦闘機である。

性能所元    P40E
全長       9.50m
全幅      11.38m
全高       3.76m
翼面積     21.9㎡
全備重量   3756kg
エンジン   アリソンV1710-39
出力      1150馬力
最高速度   583km(4572m)
上昇限度   8839m
航続距離   1046km
武装      12.7ミリ機銃×6
爆弾      225kg   

ホーカーハリケーン

スピットファイヤーと同時期に誕生した最もジョンブルらしい戦闘機。鋼管布張りの機体は古色蒼然としているが、当時、現場も含めて手馴れた手法で、広くガッシリしたトレッド、胴体下面の冷却器など、実用性はスピットを凌駕していた。新基軸だらけで問題続出のスピットを確り支えた陰の功労者である。頑丈で融通の利く機体で爆撃機を主目標とした「英国本土航空戦」の活躍、マルタ攻防戦での活躍など、目立たぬ活躍も多い。アジアでもシンガポール攻防戦などで隼や97式戦闘機と死闘を繰り広げた。
性能諸元     MkⅡB
全長        9.82m
全幅        12.19m
全高        3.99m
翼面積      23.92㎡
最大重量     3300kg
エンジン    RRマリーン20
出力      1185馬力
最大速度    550km(6700m)
上昇限度    11100m
航続距離    770km
武装     7.7ミリ機銃×12
        爆弾227kg×2

XF5U 

パンケーキと仇名された円盤型戦闘機。ジンマーマンの超低アスペクト比理論の実験機が向かい風で滑走無しに離陸した事に興味を示した海軍がXF5Uとして発注した。しかし、完成したのは45年8月20日で対日戦後、さらに特製プロペラが完成したのは47年になり、既にジェット機の時代で、とうとう飛行する事無く、キャンセルとなってしまった。理論通りなら、64kmから775kmの速度域を持つ革新的機体となるはずであった。米海軍のチャレンジ精神とお茶目さの現れのような機体。

性能諸元     (計画値)
全長         8.55m
全幅        11.10m
全高         5.17m
翼面積       44.10㎡
全備重量      7585kg
エンジン    P&W R2000-7×2
出力       1600馬力×2
最大速度     775km(9357m)
実用上昇限度  10516m
航続距離     1703km
武装        12.62ミリ機関銃×6
      または 20ミリ機関砲×4

97式戦闘機

ノモンハン航空戦で旧ソ連のI-15、I-16を相手に大活躍、10:1のキルレートを記録した中島97式戦闘機、日本陸軍航空隊初の全金属製低翼単葉戦闘機である。1936年10月に初飛行したが、同時期の欧州では前年の35年にBf109、モランソルニエMS406、同年にはスピットファイアーが、翌37年にフィアットG50など現代のジェット戦闘機に繋がる新概念の高速空中戦用戦闘機が登場していた。本機の成功が皮肉にも日本航空界を低空低速での巴戦至上主義に決定付けてしまった。徹底した軽量化と視界重視、防弾装備を持たず、軽武装、日本陸軍航空隊の空中戦の最終回避行動をシャンデルとした究極の巴戦戦闘機である。
性能諸元
全長       7.53m
全幅       11.30m
全高       3.25m
翼面積     18.60㎡
最大重量    1790kg
エンジン    中島ハー1乙
出力       650馬力
最大速度    460km(5000m)
上昇限度    10000m
航続距離    800km
武装     7.7ミリ機関銃(500発)×2

グロスター・ミーティア

1940年から開発が始まり43年3月に初飛行したジェット戦闘機ミーティアは敗色濃いドイツのMe262やHe162と異なり無理な実戦投入はされてない。高速性能を生かしてV-1号の迎撃に当った程度でドイツ軍機との空戦も無かった。量産一号機は米国のYP-59エアラコメット・ジェット戦闘機と比較評価の為、交換で米国に送られた。ミーティアが初めて実戦で活躍したのは朝鮮戦争で、ミグ15に対して優勢に戦ったと言う。
ドイツのオハイオン(軸流式)と異なるホイットル(遠心式)ターボ・ジェットが使われていた。 ジェットエンジンの概念は1791年に英国で考案され、1903年にノルウエーでエイリングによって自立運転に成功している。ジェット推進の特許は1917年に取得され1930年代にレシプロ機の速度限界が見えてくると本格的に欧州各国で開発が始まり39年にドイツのHe178、40年にイタリアのカプローニ・カンピーニN1が初飛行している。だがジェットエンジンの本格的実用化に成功したのは軸流式のドイツと遠心式の英国だけであった。
性能諸元    F.MK8
全長       13.59m
全幅       11.32m
全高       3.96m
翼面積     32.52㎡
最大重量    7121kg
エンジン ロールスロイス・ダーウェント×2
推力       1590kg×2
最高速度    965km(3050m)
上昇限度    13100m
航続距離    965km
武装      20ミリ機関砲×4
       爆弾454kg又はロケット弾×16

四式戦 疾風

日本陸軍機として鐘軌に継ぐ本格的高速空中戦用の大馬力戦闘機。1943年3月に初飛行し大東亜決戦機と呼ばれて大いに期待された。重く調整された操縦系、防弾装備の充実で重くなった機体、基準孔方式で量産性とメンテナンスを重視した疾風は古参操縦者や整備員には不評で、悪い部品は直ぐに取り替え、低速小回り戦法は使わずに高速での突っ込みと離脱を繰り返す戦法を体得した若い搭乗員には好評であった。充分な補給を得られた中国やフィリピンでは一時的に制空権を取り戻している。 なお日本機の最高速度が日本側発表と米国側発表に大きく違いが有るのは計測法の違いのようだ。日本は実戦を想定して計測するが、米国は、F1のプラックティスのように何処まで伸びるか限界まで挑戦して計測する。
性能諸元    疾風Ⅰ型甲
全長         9.92m
全幅         11.24m
全高         3.38m

翼面積       21.00㎡
正規全備重量   3890kg
エンジン      ハー45-21
離昇出力     1850馬力
最高速度     624km(6000m)
上昇限度     12400m
航続距離     1400km
武装    12.7ミリ機関砲×2(各250発)
       20ミリ機関砲×2(120発)
         爆弾250kg×2

F4U コルセア

今日のジェット戦闘機に繋がる新概念のBf109、スピットファイアーの出現に刺激されてF2Aバッファローの後継機として開発された2000馬力級発動機を搭載した艦上戦闘機。1940年5月に初飛行して時速650kmの高速を出し驚かせたが、視界不良、失速特性の悪さなどで母艦上の運用は困難と艦上戦闘機の座は保険として開発されたF6Fに奪われた。陸上戦闘機として対日戦に参加、持ち前の高速と縦方向の高速空中戦で日本機を圧倒したが、熟練零戦パイロットの評価は意外と低い。F6Fと異なり零戦の得意とする低空低速の巴戦に持ち込まれると、以外にもろかった事によるらしい。 終戦間際に艦上戦闘機として運用され始め、朝鮮戦争にも出撃している。
性能諸元     F4U-4
全長        10.26m
全幅        12.50m
全高         4.50m
翼面積      29.17㎡
運用重量     6350kg
エンジン  P&W Rー2800-18W
出力       2100馬力
最大速度    717km
巡航速度    595km
上昇限度    12650m
航続距離     1000km
武装      12.7ミリ機銃×6
     454kg爆弾×2、6インチロケット弾×8

YaK1/YaK3/YaK7/YaK9

革新的なBf109やスピットに刺激されソビエトでも新概念の高速空中戦用の戦闘機の開発が進み、1940年1月にヤコブレフ設計局のYaK1が初飛行した。おりしも独ソ戦が始まり、前線からの新戦闘機の要求は強く、退却戦の混乱の中で改良された低高度用のYaK3は傑出した格闘戦能力を見せた。更に簡素化軽量化され量産向きのYaK7が作られ、発展型のYaK9と矢継ぎ早に合計3万6千機も生産されソビエトの勝利に貢献した。木金混合の頑丈で小型の量産向き実用戦闘機だが、独特の癖があり、扱いにくい機体だといわれる。戦後も使われ朝鮮戦争にも出撃している。
性能諸元       YaK9U
全長          8.55m
全幅          9.77m
全高          2.96m
翼面積       17.25㎡
最大重量      3100kg
エンジン   クリモフVK107 水冷V型12気筒
出力        1500馬力
最大速度      672km(5000m)
実用上昇限度   10650m
航続距離      675km
武装   12.7ミリ機銃(170発)×1 20ミリ機関砲(120発)×1
爆弾        100kg×2

La5/La7

1940年に初飛行した全木製のLaGG3は省資源で生産性に富むが重量過大でかなりの低性能な為、ラボーチキンは41年に大馬力空冷エンジンに交換しLa5となった。さらに軽量化の為に主翼も金属製に替えたLa5NFが登場し42年スターリングラード戦から大活躍した。さらに、改良されLa7と発展して総計1万5千機が生産されドイツのMe109やFw190と死闘を繰り広げた。被弾に強く頑丈な高速空中戦向きの機体である。ソ連らしく戦闘機は消耗品と割り切って雑な仕上げだが量産性を重視した木金混合の実用的戦闘機である。戦後の全金属製La9と共に1950年代まで使われた。なお、 ソ連戦闘機の命名法は設計者の頭文字+奇数番号である。

性能諸元       La7
全長          8.67m
全幅          9.80m
全高          2.54m
翼面積        17.59㎡
最大重量      3265kg
エンジン シュベツォフ M82FN空冷星形複列14気筒
離昇出力       1,850馬力
最大速度       680km
上昇限度       11000m
航続距離       650km
武装        20ミリ機関砲×2~3
爆弾        200kg

ホーカー タイフーン

スピットファイヤーの後継機として強力な24気筒エンジンを搭載して1939年に初飛行したが、迎撃機としては性能不足で失格、胴体の流線型化、薄い主翼への変換などを行った。それでもロールスロイスエンジンの開発中止、引き起こし時に胴体後部が折れる、エンジン排気がコクピットに流れ込むなど、さまざまなトラブルを乗り越えて、戦闘爆撃機として蘇った。独特のエンジン音で連合軍兵士を鼓舞するジョンブル・ヤーボ、大出力エンジンを生かした大きな搭載力で地上攻撃に暴れまわった。
性能諸元        Mk1B
全長           9.73m
全幅          12.67m
全高           4.52m
翼面積         25.92㎡
最大重量       6000kg
エンジン  ネピア・セイバー2A 24気筒
出力         2180馬力
最大速度       652km(5500m)
上昇限度       10500m
航続距離       982km
武装       20ミリ機関砲×4
爆弾     450kg×2 or ロケット弾×8

He162 シュパッツ

敗戦が迫り狂気の支配するナチスドイツの打ち出した国民兵器の空軍版、フォルクス・イエーガー、製造も操縦も簡単で保守点検も最小限で済む高性能機。1944年秋の、この無茶な要求に応えたのは皮肉にもナチスに冷遇され続けたハインケルであった。奇跡的な短期間で開発生産されたHe162は1944年12月に初飛行したが、仕様とは裏腹に、安定性は最悪で国民が簡単に飛ばせる代物ではなかった。それでも1945年2月には最初のHe162の戦闘航空団が組織され、枯渇する燃料や物資、未熟な兵員に苦しみながら、猛烈な爆撃を掻い潜って出撃し英空軍のタイフーンを撃墜したりしてジェット戦闘機の可能性を垣間見せた。

性能諸元        He162Aー1
全長           9.05m
全幅           7.20m
全高           2.60m
翼面積         11.20㎡
最大重量        2700kg
エンジン BMW 003Eー1オハイオン・ターボジェット
推力          800KG
最大速度       840km
上昇限度       12000m
航続距離       600km
武装     MG151 20ミリ機関砲×2

Me262 シュワルベ

大戦前の1939年から開発が始まり、1942年7月にジェットエンジンで初飛行した世界最初の実用ジェット戦闘機Me262、実は1年前にHe280ジェット戦闘機が初飛行している。しかしハインケル嫌いのナチス党の圧力もあって、Me262が採用となった。さらにヒットラーの横槍、ジェットエンジンの不具合、連合軍の爆撃などで就役は遅れに遅れ、1944年秋頃となったが、既にジェット戦闘機を使いこなせるベテラン・パイロットは少なく、燃料も枯渇し、戦局を変える程の活躍は出来なかった。特に当時のジェットエンジンはスロットルへの反応が鈍く、加速力は低く、フルパワーで高温溶解するなど扱いは難しかったようだ。

性能諸元          Me262 A1

全長               10.58m
全幅               12.50m
全高                3.83m
翼面積              21.7㎡
離陸重量            6400kg
エンジン ユンカース Jumo 004Bオハイオン・ターボジェット(推力900kg)×2
最大速度            870km(6000m)
上昇限度            11450m
航続距離            1050km
武装             30ミリMK108機関砲×4
                R4M空対空ロケット×24

スピット・ファイヤー

1930年代は重武装高速爆撃機の航空艦隊が敵を打ち砕くと戦闘機無用論が唱えられた。皮肉な事に、これら航空艦隊を迎撃する新概念の戦闘機が必要となり、1935年前後に欧州各国から続々と初飛行した。1933年Iー16、35年Bf109、モランソルニエMS406、36年スピットファイアー、37年フィアットG50である。第一次大戦の低速巴戦では無く、高速急降下とズーム上昇を多用する縦方向の高速空中戦用の戦闘機である。スピットも抵抗の少ない薄い楕円翼 を使用し高速急降下を得意としたが、格闘性も併せ持つバランスの良い機体であった。1940年の英国本土航空戦ではレーダー管制下、800km以上の高速急降下での空中戦でドイツのBf109と好敵手で、改良を続け、勝利迄第一線で戦い、ミーティア・ジェット戦闘機にバトン・タッチした。

性能諸元     スピットファイアーMK14
全長         9.957m
全幅         11.227m
全高         3.86m
全備重量      3802kg
エンジン    グリフォン65/66
出力          2035馬力
最大速度       706km(7448m)
巡航速度       582km(6080m)
上昇限度       13572m
航続距離        740km
武装           20ミリ機関砲(120発)×4
爆弾           227kg

P38 ライトニング

「双胴の悪魔」と異名を持つP38、実際の処、自慢の高空性能はドイツ戦闘機に及ばず、急降下性能も劣り、高速で攻撃してくるドイツ戦闘機を小回りでかわすのが精一杯だった。双発の大型機なのに旋回性能だけドイツ戦闘機に勝っていた。戦争中期以降は大きな搭載量を活かして戦闘爆撃機として活躍した。太平洋では長大な航続距離と高空性能でそこそこ活躍した。山本将軍搭乗機撃墜で有名。搭乗員の前にエンジンが無い為、凄く寒かったらしい。初飛行は1939年1月、零戦やFW190と同期。

性能諸元   P38L乗員      1名
全長      11.53m
全幅      15.85m
全高       3.00m
翼面積    30.43㎡
全備重量  7940kg
エンジン   アリソンV1710-111/113ターボ・スーパーチャージャー×2
離昇出力  1600馬力×2
最大速度   667km(7620m)
航続距離   1770km
武装     ヒスパノ20㎜MK×1(150発) ブローニングMG53 12.7㎜×4(各500発)
爆弾、ロケット弾   1816kg

F4F ワイルドキャット

私の好きなユーモラスな艦上戦闘機。いかにもアメリカンなネバーギブアップ精神にあふれるワイルドキャット は中年男を思わせる。1937年9月に初飛行し、F2Aに選定で敗れるが、改良で盛り返す。開戦時、ドッグファイトで零戦の餌食になったが、ミッドウエーの頃からドイツのロッテ戦法を真似たサッチスイープ戦法で零戦より優位に立つ。戦争中期以降、後継のF6F、F4Uに主力の座を譲り、甲板の狭い軽空母の主力戦闘機として終戦まで活躍した。 縁の下の力持ちである。

性能諸元     F4F-4
全長        8.76m
全幅       11.58m
全高        2.81m
翼面積      24.15㎡
全備重量     2610kg
エンジン     P&W R1830-86  離昇出力1200馬力
最高速度     515km
航続距離    1240km
武装       12.7mm機銃×6 (各240発)
爆弾       45kg×2

P51D ムスタング

ご存知、「第二次大戦最優秀戦闘機」と呼ばれるP51だが、対戦したドイツのパイロットの評価はそれ程でも無い。P51の高性能は認めるが、むしろP47の重武装とタフさ、スピットの格闘性能を評価する。実際短期間での無理な設計の為、軽量化が不十分で同じエンジンを積んだスピットより1トンも重く、胴体燃料タンク使用時はバランス悪くて空戦は禁止、低速でのエルロンの利きも好くない。ラジエター・シャッター誤作動でエンジン焼付きを起こす等。それでも米国と日本での評価は高く、高速性能、急降下性能、航続距離を特に評価する。欠点を改善したP51Hは戦争に間に合わなかった。Bf109の設計に参加していたドイツ系ユダヤ人、エドガー・シュミートの設計で初飛行は1940年9月。

性能諸元      P51D
全長           9.84m
全幅          11.28m
全高           3.71m
翼面積         21.90㎡
全備重量       4585kg
エンジン    パッカード・マリーンV-1650-7  1490馬力
最大速度     703km(7620m)
巡航速度     583km
上昇限度     12770m
航続距離     1530km
武装   M2HB12.7mm機銃×6(内側2丁各400発、外側4丁各270発)爆弾       227kg又は453kg×2           ロケット弾×6

P47 サンダーボルト

ソ連から亡命したグルジア人アレキサンダー・カルトベリィー設計で1941年5月に初飛行した。エアコンまで付いてる豪華なキャビン、初めて英国に到着したP47の巨体に度肝を抜かれた英国人パイロットは「空中戦が出来るのか?」と聞いたと言うが、巨体に似合わず高速で、ダイブではドイツ戦闘機のお株を奪い、強大パワーで上昇力も素晴しく、ロールも速かった。8門の機銃の威力も凄まじい。さすがに俊敏性はイマイチで、その巨体を操縦するには体力も必要だったし、なかなか離陸しないので有名だったが、機関砲の一連射や二連射を浴びてもビクともせず、相当な被害を受けても基地まで帰るタフさに、ジャグ(ジャガーノート止められない神の乗り物)と愛称され、過酷な欧州航空戦を戦う男達に信頼された。「競技ならP51、戦争ならジャグに乗る」と言われた空飛ぶキャデラック。

性能諸元     P47D
全長         11.02m
全幅         12.42m
全高          4.47m
翼面積       27.87㎡
全備重量      7900kg
エンジン  P&W R-2800-59Wターボ・スーパーチャージャー
出力        2540馬力
最大速度     697km
巡航速度     542km
上昇限度     12500m
航続距離     1657km (3060kmドロップ・タンク×3)
武装        12.7mm機関銃(425発)×8
爆弾        1100kgまで

P39 エアコブラ

37ミリ機関砲の威力に惚れ込み、其の為に作ったような戦闘機。機首に37ミリ機関砲を置き、コクピットの後方にエンジンを置いた。当初はターボ・チャージャーを装備する高高度迎撃機だったが、その任務はP38に割り当てられ、P39は中低高度用になった。1939年4月に初飛行。高空性能の悪いアリソン・エンジン、低初速で発射速度が毎分150発程度の37ミリ機関砲、中途半端なP39は日本相手なら使えるだろうと太平洋に送られたが日本軍戦闘機に歯が立たず、英国でも役立たずと判断され、ソ連に送られた。低空近接支援が任務のソ連空軍では大好評だった。趣味で作ったようなP39を一万機近く生産した米国、邪魔扱いされたP39を使いこなしたソ連に脱帽。
性能諸元    
全長        9.2m
全幅       10.4m
全高        3.8m
翼面積      19.8㎡
全備重量     3350kg
エンジン     アリソンV-1710   
出力1200馬力
最大速度    589km
上昇限度    10700m
航続距離    1770km
武装   T9 37ミリ機関砲×1  12.7ミリ機関銃×4
爆弾       225kg

F6F ヘルキャット

幸運な戦闘機である。F4Uコルセアの保険にと、F4Fのパワーアップ版がグラマンに発注された。新機軸や冒険をしてはいけないF6Fは新人技師に任かされ、使いやすさを追求し、欧州の戦訓を取り入れた充分な防弾装備をした、馬力の割りに平凡以下の性能の機体となった。そのままお蔵入りのはずが開戦!コルセアはトラブルに苦しみ、ヘルキャットに量産命令が出た。急遽、パートのおばさん達を集め、人海戦術で量産が始まった。やがて、女学生が作った零戦と、おばさんが作ったヘルキャットが太平洋上で戦い、おばさんに軍配が挙がった。ヘルキャットは、殆んどの性能で零戦より少しだけ上回っていて、しかもタフだった。初飛行は1942年6月である。

性能諸元     F6Fー3
全長         10.24m
全幅         13.06m
全高          4.11m       
全備重量      5162kg
エンジン    P&W Rー2800
離昇出力     2000馬力
最大速度     605km
巡航速度     322km
上昇限度     11704m
航続距離     2500km
武装       12.7ミリ機関銃×6
爆弾       900kg

五式戦


三式戦飛燕のエンジンを空冷に積み替えた急造の機体だが、本土防空戦で活躍した。稼働率低下に悩む四式戦と違い、日本的格闘性能を維持して高速空中戦にも対応出来る頑丈さを持つ五式戦はバランスも稼働率も良く、終戦末期の米軍戦闘機と対等に戦え日本軍パイロットの評価も高かった。最高速度こそ遅かったが、時速800km以上での急降下も楽にこなし、遠足気分のグラマンやP51に冷水を浴びせた。 水冷に固執して空冷エンジンへの変換が遅れたのが悔やまれる。
性能諸元        五式戦1型
全長           8.92m
全幅          12.00m
全高           3.75m
翼面積         20.00㎡
全備重量       3495kg
エンジン    ハー112-Ⅱ 金星62型
離昇出力     1500馬力
最高速度      580km
巡航速度      400km
上昇限度     11700m
航続距離     1400km
武装     ホ5 20ミリ機関砲(250発)×2  ホー103 12.7ミリ機関銃(250発)×2
爆弾       250kg×2

零式艦上戦闘機

開戦直後に大活躍した零式艦上戦闘機。欧米にエンジンや補器類で遅れを取る中、防弾、機体強度を犠牲にして運動性と高性能を勝ち取った零戦。垂直に近い角度で急上昇出来る零戦は米国を驚かせたが、秘密がバレ、守勢に追い込まれても、改良で十分な対抗が出来なかった。当時の日本の技術力の限界に挑戦した機体であるが、褌一丁で敵陣に切り込んで行くような危うさがあった。敵も褌一丁ならよいが、馬上の甲冑をつけた敵なら相当不利である。初飛行は1939年4月。

性能諸元  52型
全長          9.12m
全幅         11.00m
全高          3.50m
翼面積        21.30㎡
全備重量      2743kg
エンジン       栄31甲
離昇出力      1130馬力
最高速度      559km
実用上昇限度   11740m
航続距離      1550km+
武装       20mm機関砲×2(各125発)          7.7mm機銃×2(各700発)
爆弾       30kg叉は60kg爆弾×2

雷電

強力な爆撃機用エンジンで上昇力と速度を追求した異色の海軍局地戦闘機雷電、1942年2月に初飛行。エネルギッシュな紡錘形スタイルは大直径エンジンを収め、なおかつ、抵抗を低減する為に採用されたが、そのため、延長軸と強制空冷ファンがつけられた。海軍機は雷電から層流翼形が使われるようになったが、雷電は内翼だけ採用した半層流翼である。しかしながら工作精度と現場の整備力低下で十分に効果を発揮したとは言えない。また、海軍機として始めて防弾装備がなされた。その視界の悪さと着陸速度の速さから 「殺人機」と異名を取る程乗るのが難しいと言われたが、戦後の米軍の報告では同項目は良好とされている。大人しい零戦に比べ、大パワー高速の雷電に振り回された当時の日本海軍搭乗員の技量が悲しい。1943年には零戦の後継機として大増産が計画されたが、振動と視界問題で遅れに遅れ、白紙に戻された。
性能諸元 雷電33型
全長       9.945m
全幅      10.800m
全高       3.945m
翼面積     20.05㎡
全備重量    3482kg
エンジン   三菱・火星26型
離昇出力    1820馬力
最大速度     604km (6800m)
実用上昇限度  11500m
航続力       1055km
武装      99式20㎜2号4型×2 (各210発)   
         99式20㎜1号4型×2 (各190発)
爆弾      30kgまたは60kg×2

Iー16 モスカ

1933年12月に初飛行した、世界初の引き込み脚、戦闘機。出現当時は複葉布張機の時代でIー16は脚光を浴びたが、すぐに革新的なメッサーやスピットが現れ、スペイン内戦、ノモンハン、フィンランド戦争、独ソ戦などで、やられ役を演じた不幸な戦闘機。引き込み脚は手動でワイヤーを巻き上げる。開放式コクピットはロシアの空は寒かったろう。悲しくユーモラスな戦闘機で、登場時期が悪かったとしか言えない。ノモンハンや中国空軍機として日本機とも戦い、やっぱり、やられ役だった。一撃離脱に徹すればそれなりに高性能ではあった。

性能諸元    Iー16  10型
全長        6.15m
全幅        8.93m
全高        2.41m
翼面積      14.87㎡
全備重量     1716kg
エンジン     shvetsov M-25V
最大出力    750馬力
最大速度    455km (3000m)
巡航速度    360km (3000m)
上昇限度    8000m
航続距離    700km武装     shKAS 7.62ミリ機銃(650発)×4爆弾        30kg×2

He280

1939年8月にHe178ジェット機を初飛行させたハインケル博士だが大戦勃発を控えた空軍の反応は冷たいモノだった。それにもめげず、双発ジェット戦闘機He280の開発に掛かり1941年3月に本機を初飛行させた。時速700kmの高速を見て空軍も300機を発注したがハインケル嫌いのナチスの不条理の前に取り消しとなった。He280は実用上、問題も有ったようだが、射出式座席、前車輪式降着装置など、後年のジェット戦闘機のスタンダードを決めた、ナチスに翻弄された不運な機体である。 順調に実用化されていたなら、43年頃には実戦部隊配属が出来ていたろうに。

性能諸元     He280V3
全長        10.40m
全幅        12.20m
全高         3.06m
翼面積       21.40㎡
全備重量     4300kg
エンジン    ハインケルHeS8a 推力750kg×2
最大速度     780km
上昇限度     11500m
航続距離     410km
武装        20ミリ機関砲×3
爆弾       250kg×2  (計画)

Fw190 (ビュルガー)

補助戦闘機として発注され、タンク技師による軍馬の如き戦闘機、1939年6月に初飛行。不慣れな整備員が整備し、未熟なパイロットが操縦して被弾しても基地に帰ってくるタフな機体で、低速の旋回はまるで駄目だが、ダッシュとロール率は素晴らしく、高速での縦方向の空戦はピカイチだった。出現当時、スピットMK5を圧倒し、フォッケを見たら暖降下で逃げろ!と言われた。急降下で逃げると、一瞬の間に追い着かれる。6千m以上での過給力の不足はエンジンを水冷のユモに積み替えるD型まで解決しなかった。タフな機体はヤーボとしても活躍し、B17爆撃機隊への突撃戦闘機としても使われた。B17は1機当り12丁の12.7m機銃を持ち、千機ちかくが密集編隊を組んで飛ぶ。攻撃するドイツ戦闘機は数千丁の機銃に狙われ、無事には済まなかった。
性能諸元     Fw190Aー8
全長         8.95m
全幅        10.51m
全高         3.64m
翼面積       18.30㎡
全備重量      4390kg
エンジン      BMW801D-2   
離昇出力      1440馬力
最高速度      647km (5500m)
巡航速度      470km
上昇限度      10300m
航続距離      1035km

Bf109 グスタフ

出来るだけ小さな機体に強力なエンジンを載せれば高性能になるとのコンセプトに忠実に作られたBf109。旋回性能ではなく角速度の機動性重視、整備性重視、量産性重視の典型的ドイツ戦闘機。1935年9月初飛行。機体が小さい為、改良に苦労しながらも終戦まで第一線で戦い続け「全備重量ならP-51にも負けない」と言われた。低速での急旋回は苦手であったが前縁スラットのお陰で失速はしなかった。全速で飛ぶと、しっかり当て舵しないと真っ直ぐ飛べないとか、主脚がハの字で間隔も狭く、着陸が難しいなど欠点も多かったらしいが、燃料噴射式エンジンを生かしたダッシュ、急降下性能、小刻みな上下運動でスピットを圧倒した。

性能諸元     Bf109G-6
全長         9.02m
全幅         9.92m
全高         2.60m
翼面積       16.05㎡
全備重量     3196kg
エンジン      DB605A   1475馬力
最高速度     630km(7000m)
巡航速度     545km
航続距離     650km
武装      MK151 20mmモーターカノン×1
           MK131 13mm機銃×2
爆弾       250kg×1

Do335 プファル

Bf109、Fw190以降、ドイツ航空機メーカーは開発の主力をジェット機に置き、レシプロ機は主に改良で対応していた。その中、高速戦闘爆撃機として開発されたDo335。十字型尾翼の牽引、推進式併用の双発機となった。初飛行は1943年10月。性能はレシプロ機の極限に近かったが、前年の42年7月にMe262ジェット戦闘機が初飛行し、同年43年6月にはAr234ジェット爆撃機が初飛行して、もはやレシプロ機の時代では無く、連合軍の爆撃にさらされるドイツに既に量産する力も無かった。

性能諸元   Do335A
全長      13.85m
全幅      13.80m
全高       5.00m
全備重量   9510kg
エンジン    DB603Aー2  1750馬力×2
最大速度    763km
航続距離    1380km
武装      30mmMK103モーターカノン×1  20mmMG151×2
爆弾      500kg(爆弾倉内)


Ta152

私の好きなレシプロ・戦闘機の一機。原型はFw190、初飛行が1939年6月で改良に次ぐ改良で終戦まで第一線で戦い続けたFw190Dや発展型のTa152シリーズ。エンジンを空冷から水冷に積み替え、胴体後部を切って延長するなど応急処置が見事。操縦には相当、力が必要だったらしく、いかにもゲルマン的機体。ダッシュ性能とロール率は天下一品で、急降下初期、ズーム上昇では軽く敵を追い詰めた。戦闘中、スピットやP51にバックを取られたら、ダッシュしスプリットSを2回繰り返せば大抵振り切れた。それでも駄目ならハーフロールからパワーダイブに入り、すぐにズーム上昇すれば振り切れた。 しかし、これはFw190の話で、Ta152は、フル・スロットルで簡単に振り切ったという。

性能諸元    Ta152C(一部推定)
全幅         11.00m
全長         10.80m
全高          3.36m (3点姿勢)
翼面積        19.5㎡
エンジン   DB603L MW-50緊急出力増強装置付き
離昇出力      2250馬力
最大速度        780km  高度9200m 
巡航速度        520km  
武装    30㎜ MK108×1 モーター・カノン (90発)  20㎜ MK151×4  (各175発)