一式戦 隼

1938年12月に初飛行した隼は97式戦闘機の後継機であった。空の狙撃兵と言われるほど、射撃安定性が良く、機体が軽くて運動性と低速からの加速力に優れP51やP47でさえ一時的には引き離したと言う隼。しかし構造は弱くて急降下は苦手であった。陸軍はノモンハンの戦訓から戦闘機の防弾の必要性を認めており、隼はⅠ型から防漏タンクを翼内に装備し、Ⅱ型からは不十分ながら防弾鋼板も装備した。防漏タンクを機体内に装備しないのは、万が一の場合、操縦者を守る為である。この後、陸軍機は防弾装備を逐次強化し続け、四式戦疾風に至っては集中砲火を浴び、車輪が飛ぶ程の被害を受けても、火も噴かず、飛んでいる姿が米軍のガンカメラに残っている。隼は千馬力の非力なエンジンと非力な武装で次々と現れる連合軍の新鋭機に対抗し続けた。 米海軍のF4Fとかぶる働き者である。よく、同じエンジンを積んだゼロ戦と比較され、ゼロ戦より若干低速だなどと言われるが、まったく防弾装備の無いゼロ戦と、不十分ながら防漏タンクと防弾鋼板を装備する隼では比較に意味が無い。
             性能所元 隼 Ⅱ型
全幅          10.84m
全長           8.92m
全高           3.09m
翼面積         22㎡
全備重量       2590kg
エンジン       ハー115
出力         1150馬力
最大速度      548km(6000m)
上昇限度      11750m
航続距離      1620km
武装   ホー103 12.7mm機銃×2(250発)
          30~250kg爆弾×2